'19年10月23日 更新
フレンドピースハウス(FRIEND PEACE HOUSE)は、1936年(昭和11)にフレンドピース奨学金制度の設立者であるハワイのセオドア・リチャーズ(Theodore Richards)夫妻が同志社病院長を務めたジョン・C・ベリー(John Cuting Berry)が住んでいた教師館の土地の一部と建物を同志社から購入し、改修して設立された施設です。土地と建物は同志社に委託され、ディレクター(寮監)のもと、上記の奨学金制度により派遣された日系二世のフェロー(奨学生)と、同志社の日本人学生が共同生活を営む施設として始まりました。
フレンドピースハウスは2018年(平成30)に解体されました。それに伴い、本センターは建築部材や調度品の一部を資料として受け入れました。同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進めてきました。本展は解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史を辿ります。
フレンドピースハウスは2018年(平成30)に解体されました。それに伴い、本センターは建築部材や調度品の一部を資料として受け入れました。同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進めてきました。本展は解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史を辿ります。
開催日 | 2019年10月1日(火)~12月1日(日) |
閉館日 | 月曜、祝日 |
開館時間 | 10:00 ~ 17:00(最終入館16:30まで) |
場所 | 同志社大学 今出川キャンパス内 ハリス理化学館同志社ギャラリー2階 企画展示室 |
主催 | 同志社大学同志社社史資料センター |
フレンドピースハウス(FRIEND PEACE HOUSE)は、1936年(昭和11)にフレンドピース奨学金制度の設立者であるハワイのセオドア・リチャーズ(Theodore Richards)夫妻が同志社病院長を務めたジョン・C・ベリー(John Cuting Berry)が住んでいた教師館の土地の一部と建物を同志社から購入し、改修して設立された施設です。土地と建物は同志社に委託され、ディレクター(寮監)のもと、上記の奨学金制度により派遣された日系二世のフェロー(奨学生)と、同志社の日本人学生が共同生活を営む施設として始まりました。
フレンドピースハウスは2018年(平成30)に解体されました。それに伴い、本センターは建築部材や調度品の一部を資料として受け入れました。同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進めてきました。本展は解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史を辿ります。
フレンドピースハウスは2018年(平成30)に解体されました。それに伴い、本センターは建築部材や調度品の一部を資料として受け入れました。同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進めてきました。本展は解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史を辿ります。
開催日 | 2019年10月1日(火)~12月1日(日) |
閉館日 | 月曜、祝日 |
開館時間 | 10:00 ~ 17:00(最終入館16:30まで) |
場所 | 同志社大学 今出川キャンパス内 ハリス理化学館同志社ギャラリー2階 企画展示室 |
主催 | 同志社大学同志社社史資料センター |