以下、本文になります
新島研究
第20号(1959年10月)
同志社大学設立について京都 知恩院大集会における新島先生の演説 | |
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新島先生と蘭学の師杉田玄端との関係 | 森中 章光 |
新島先生と立花康哉 | 園田 重賢 稿 |
時の微を知れ(説教稿) | 本間 重慶氏 稿 |
同志社初期の思出 | |
新島日記 明治一三年(2) | |
恩師をしのびて | 柏木 義円 稿 |
デビス博士の生涯(13) | 森中 章光 |
新島先生の伝道精神 伝道者への書簡 | |
“なお生きてあり”(二十回) | 森中 章光 作 |
同志社の建物 彰栄館 | |
新島襄先生書誌 |
第19号(1959年7月)
“罪について”(説教稿) | 新島 襄 |
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新島先生における罪と罰 | 秋山 哲治 |
エフレイム・フリント牧師 その経歴と新島先生との関係及びシーリー博士におくった新島先生紹介の書 |
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新島日記 明治一三年(1) | |
新島先生と伊予青年 | 末光 信三 |
一致・組合両教会合併問題について | |
新島先生帰国を報道した最初の新聞記事 | |
熊本洋学校とキャプテンジェーンズ | |
新島先生逸話(其四) | 新島夫人談 |
デビス博士の生涯(12) | 森中 章光 |
同志社初期の思出 | 本間 重慶氏 稿 |
“なお生きてあり”(十九回) | 森中 章光 作 |
第18号(1959年4月)
新島先生の告辞 | |
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同志社大学設立の旨意〔口語回記〕 | |
“朋友の交誼”(説教) | 新島 襄 |
新島日記「海外渡航の記」(五) | |
新島先生逸話(其三) | 新島夫人談 |
新島先生は如何なる人であったか | 松波仁一郎氏講演 |
デビス博士の生涯(11) | 森中 章光 |
同志社初期の思出 | 本間 重慶氏 稿 |
“なお生きてあり”(十八回) | 森中 章光 作 |
第17号(1958年12月)
祖国強化のために訴う | 新島 襄 |
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新島先生の思想的背景 | 大塚 節治 |
同志社創立の畧歴(新島先生自記) | 新島 襄 |
“ナイン少年の復活”(説教) | |
新島先生の説教と | |
岡山孤児院の創設者石井十次の発心 | |
新島日記「海外渡航の記」(四) | |
クリスマスに招く慈母の情「ハーディー夫人の書簡」 | |
新島先生“同志社設立の始末”(口語回記) | |
デビス博士の生涯(10) | 森中 章光 |
新島先生逸話(其二) | 新島夫人談 |
ピーターパーカー博士 | |
“なお生きてあり”(十七回) | 森中 章光 作 |
第16号(1958年3月)
基督者新島襄先生(其三) | |
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ハーディー夫人宛新島先生書簡(訳) | |
“汝の終わりに於て智くあれ”(説教) | 新島 襄 |
新島先生詳年譜(5) | |
榎本武揚麾下の鬼艦長 甲賀源吉と新島七五三太 | 森中 章光 |
新島日記「海外渡航の記」(三)―徳富蘇峰先生記念― | |
その生涯 | |
国民史をめぐる憶い出 | 藤谷みさを |
“一片丹心渾忘吾” | 大塚 節治 |
蘇峰先生著述・編纂所一斑 | |
“なお生きてあり”(十六回) | 森中 章光 作 |
第15号(1957年11月)
基督者新島襄先生(其二) | |
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ハーディー夫人宛新島先生書簡(訳) | |
“競争者” | (説教)新島 襄 |
新島先生 再度の蘭学研究について(下) | 森中 章光 |
新島先生詳年譜(4) | |
新島日記「海外渡航の記」(二) | |
八日間の出来事(手記二) | 露無 文治 |
理化学館建築費寄付感謝状 | |
新島先生逸話(談一) | 新島八重子 |
新島先生曽遊の地 | 伊太利国トレ・ぺリチエ |
デビス博士の生涯(9) | |
新島先生が若き日に読んだダニエル・デフォーの名著 | |
“なお生きてあり”(十五回) | 森中 章光 作 |
第14号(1957年7月)
基督者新島襄先生(其一) | |
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“ヤコブの一生” | (説教)新島 襄 |
新島先生詳年譜(3) | |
新島襄と内村鑑三 | 末光 信三 |
八日間の出来事(一) | 故露無文治牧師 稿 |
新島先生 再度の蘭学研究について(上) | 森中 章光 |
新島日記「海外渡航の記」(一) | |
デビス博士の生涯(8) | |
新島先生が若き日に呼んだダニエル・デフォーの名著ロビンソン・クルーソー(其六) | |
“なお生きてあり”(十四回) | 森中 章光 作 |
第13号(1957年2月)
愛の教育者新島先生(其二) | |
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“御国を臨らせたまえ” | (説教)新島 襄 |
板倉勝明・尾崎直紀・添川康斎と新島先生の少年時代(下) | 森中 章光 |
「函館脱出の記」 | 新島 襄 |
新島先生が若き日に読んだロビンソン・クルーソー(其五) | |
新島先生詳年譜(2) | |
同志社創立の回顧(二) | D・Wラーネッド |
ハーディー夫人宛新島先生書簡訳 | |
新島先生誕生当年の人物年齢表 | |
アーモスト大学を訪れて | 住谷 悦治 |
“なお生きてあり”(十三回) | 森中 章光 |
第12号(1956年12月)
新島語録(十二) | |
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愛の教育者新島先生(其一) | |
“天国の鍵” | (説教)新島 襄 |
板倉勝明・尾崎直紀・添川康斎と新島先生の少年時代(上) | 森中 章光 |
新島日記「ニコライ司祭の家に寄寓中の記」 | |
新島襄と勝海舟(完) | |
新島先生が若き日に読んだロビンソン・クルーソー(其四) | |
新島先生詳年譜(1) | |
デビス博士の生涯(10) | |
創業の地を京都に選ぶまで(完) | |
ラーネッド博士同志社創立の回顧(一) | |
“なほ生きてあり”(十二回) | 森中 章光 作 |
ラーネッド博士の晩年について | 住谷 悦治 |
第11号(1956年10月)
新島語録 | |
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礼の人新島先生 | |
ハーディー氏宛新島先生書(和訳) | |
新島先生とは如何なる人か | 末光 信三 |
“人自ら省みてそのパンを食しその酒杯を飲むべし” | (説教)新島 襄 |
浜田彦蔵と新島先生 | |
幕末に海外脱奔を企てた吉田松陰と新島襄 | 森中 章光 |
新島襄と勝海舟(七) | |
新島日記「江戸より函館の記」(五) | |
新島先生が若き日に読んだロビンソン・クルーソー(其三) | |
デビス博士の生涯(9) | |
写真資料解説 児島惟謙とその書簡 | |
創業の地を京都に選ぶまで(十) | |
再び欧米を巡りて(Ⅱ) | 新島 襄 |
“なほ生きてあり”(十一回) | 森中 章光 作 |
第10号(1956年7月)
新島語録 | |
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義憤の人新島先生 | |
教育者新島先生 | (講演)網島 佳吉 |
天父基督を十字架に添て世に給へり | (説教)新島 襄 |
新島先生最初の英文記(訳) | |
蘭学の発達及び新島先生最初の蘭学研究について | 森中 章光 |
新島先生「断髪の辞」 | |
新島襄と勝海舟(六) | |
新島日記「江戸より函館の記」(四) | |
新島先生が若き日に読んだロビンソン・クルーソー(其二) | |
創業の地を京都に選ぶまで(九) | |
写真資料解説 粟津高明より新島先生宛書簡 | |
デビス博士の生涯(5) | |
“なほ生きてあり”(十回) | 森中 章光 作 |
第9号(1956年3月)
熱涙の人新島先生 | |
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新島先生の人物(遺稿) | 波多野培根 |
“人を漁る者となさん” | 説教 新島 襄 |
新島襄と勝海舟(五) | |
新英洲神学最後の代表的学者 | E・A・パーク博士 |
時勢と安中藩主(下)板倉伊予守勝明について | 森中 章光 |
デビス博士の生涯(四) | |
新島先生が若き日に読んだダニエル・デフォーの名著ロビンソン・クルーソー(其一) | |
新島日記「江戸より函館の記」(3) | |
創業の地を京都に選ぶまで(八) | |
写真資料解説 新島先生より | 菅沼錠次郎宛書簡 |
再び欧米を巡りて(一) | 新島 襄 |
“なほ生きてあり”(九) | 森中 章光 |
第8号(1956年1月)
謙譲の新島先生 | |
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新島先生の教育とは何ぞ | 徳富 蘇峰 |
同志社使命の再反省 感謝と希望 | 大塚 節冶 |
聖旨の天に成るがごとく地にも成させたまへ | 説教 新島 襄 |
新島先生告別埋葬記抄 | |
新島襄と勝海舟(四) | |
時勢と安中藩主「板倉勝明について」(上) | 森中 章光 |
デビス博士の生涯(3) | |
新島日記「江戸より函館の記」(2) | |
写真資料解説 ワイルド・ロバー号 | |
創業の地を京都に選ぶまで(七) | |
逝きし夫を偲びて | 新島八重子 |
なほ生きてあり(八) | 森中 章光 |
同志社創立八十周年記念式典参列のため西下入洛の徳富蘇峰先生 |
第7号(1955年11月)
新島先生写真像及び先生標語 | |
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地上に於ける新島先生の使命 | |
同志社学校設立の由来新島先生稿 | |
新島研究に寄す | 徳富 蘇峰 |
天道溯原の著者と新島先生 | |
上帝論…説教稿 | 新島 襄 |
帝国憲法の発令と新島先生 | 田畑 忍 |
創業の地を京都に選ぶまで(六) | |
終友の永眠を悼む真情の書 | 新島先生旧友より |
アーモスト大学一八七〇年クラスの新島先生追悼文について | オーテス・ケーリー |
新島先生出生前後の時代概観(下) | 森中 章光 |
写真資料解説 新島先生の祈祷文 | |
新島先生と札幌 | 末光 信三 |
新島襄と勝海舟(三) | |
新島先生宛書簡 | 渋沢 榮一より |
八十年前の同志社 | 本間 重慶 稿 |
なほ生きてあり(七) | 森中 章光 作 |
第6号(1955年10月)
“人材の養成にあらず 人物の養成にあり” | |
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新島先生出生前後の時代概観(中) | 森中 章光 |
丈明の元素 | 新島 襄 |
新島襄と勝海舟(二) | |
“康強なる者は医者の助を需す” | |
写真資料解説 | 北垣 国道 |
創業の地を京都に選ぶまで(5) | |
新島先生宛書簡津田仙 | |
新島日記「玉島兵庫往復」 | 新島 襄 |
デビス博士の生涯(一) | |
福士成豊のこと | 須藤 隆仙 |
“なほ生きてあり”(六) | 森中 章光 作 |
第5号(1955年7月)
“時危うして偉人を思う”新島先生の出生前後の時代概観 | 森中 章光 |
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新島先生の恩師シーリー博士 | |
基督教皇張論 | 新島 襄 |
新島先生揮毫の愛句 | |
新島襄と勝海舟(一) | |
新島先生最初の修学地 アンドバー | |
新島先生宛書簡 | 福土 成豊 |
創業の地を京都に選ぶまで(4) | |
写真資料解説安中妙光院 | |
“なほ生きてあり”(五) | 森中 章光 |
第4号(1955年5月)
新島先生の遺邸 | |
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新島先生誕生当時の家庭 | 森中 章光 |
蘇峯想出 | 徳富 蘇峰 |
新島襄と板垣退助(4) | |
アルフュース・ハーディー氏を記念して | 新島 襄 |
新島先生宛書簡 | 陸奥 宗光 |
同志社大学設立主意骨案の一節 | 新島 襄 |
“なほ生きてあり”(四) | (作)森中 章光 |
雑報新島研究会の組織について・教育者としての新島襄・蘇峯先生書簡 |
第3号(1955年3月)
“まづ隗より始む楽毅は何人ぞ” | |
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新島家の家系 | 森中 章光 |
同志社礼拝堂定礎式に於ける新島先生の式辞 | |
蘇峰想出 | 徳富 蘇峰 |
新島襄と板垣退助(三) | |
勇気の説 | 新島 襄 |
創業の地を京都に選ぶまで(三) | |
新島先生宛内村鑑三書簡 | |
“なほ生きてあり”(三) | 作 森中 章光 |
新島先生を語る会、徳富蘇峰先生の「新島先生」を編纂 |
第2号(1955年1月)
“われらは世に与へんとす” | |
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新島先生の魅力 | 徳富 蘇峯 |
教育に関する遺言五箇条の解 | 森中 章光 |
新島襄と板垣退助(2) | |
新島先生の印象(2) | |
説教 我昔逢困迫爾寛我 | 新島 襄 |
創業の地を京都に選ぶまで(2) | |
額の傷 田中良一 | |
新島先生宛川田甕江書簡 | |
“なほ生きてあり”(2) | 森中 章光 |
創刊号(1954年11月)
見えざる聖手の導き | 森中 章光 |
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新島襄と板垣退助(一) | |
創業の地を京都に選ぶまで(一) | |
新島先生の印象(一) | |
説教「改進の説」 | 新島 襄 |
新島先生と「兄弟団」 | |
新島先生渡米以前の英語研究 | |
「愛人論」 | 新島 襄 |
新島先生宛書簡・福士成豊より | |
“なほ生きてあり” | 森中 章光 |
お問い合わせ |
同志社社史資料センター TEL:075-251-3042 FAX:075-251-3055 |
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