以下、本文になります
新島研究
第115号(2024年2月)
【論叢】 | |
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2023年3月研究会(同志社を語る会) | |
青森県風間浦村・同志社交流30年を語る | |
一日研究会 | |
安中市・同志社包括連携協定締結 ―同志社創立150 周年記念事業― | |
新島襄とジョセフ・ヒコの船に関する一考察 ―快風丸とベルリン号との奇縁― | 三好 彰 |
新島襄が乗ったベルリン号の考察 | 三好 彰 |
【書評】 | |
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太田昭子『ヴィクトリア朝の福澤諭吉と岩倉使節団 ―幕末維新期における〈知〉をめぐる旅』 | 伊藤 彌彦 |
第114号(2023年2月)
【論叢】 | |
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一日研究会「同志社創立150周年記念事業について」 | |
同志社創立150周年記念事業の概要について | 横井 和彦 |
同志社・新島かるた | 石川 眞弓 |
同志社オリジナル賛美歌の制作 | 森田 喜基 |
『同志社百五十年史』編纂事業 | 小林 丈広 |
FV(フューチャービジョン)、Challengeについての説明 | 長瀬 正尚 |
自由討議 | |
同志社大学神学科の日本西部神学校への統合拒否と、その際語られた「新島精神」 | 森田 喜基 |
ラーネッドの経済思想の形成と展開 ―初期同志社と近代日本の経済学― |
西岡 優美 西岡 幹雄 |
湯浅初の「学力履歴」 ―熊本県立洋学校、慶應義塾幼年局、同志社英学校― |
山下 智子 |
【研究ノート】 | |
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女性医療宣教師Sara Craig Buckleyの京都看病婦学校・同志社病院における活動 | 三木 恵里子 |
【資料紹介】 | |
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新島襄の英文書簡と山本覚馬と宣教師の出会い | 森永 長壹郎 |
【コラム】 | |
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Amherst Collegeのモットー TERRAS IRRADIENT に関する一考察 | 有賀 誠一 |
第113号(2022年2月)
【論叢】 | |
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シンポジウム「同志社にとっての1876年」 | |
一日研究会のプロローグ | 本井 康博 |
熊本バンドの同志社英学校への入学(1876年7~9月) | 大越 哲仁 |
余科(神学科)設置と初期神学教育における相克 ─熊本バンド、アメリカン・ボード、新島襄を巡って─ | 小﨑 眞 |
女学校の開校 | 工藤 尚子 |
教会の設立&エピローグ | 本井 康博 |
新島襄が英書で学びなおした航海学 | 三好 彰 |
新島襄と『聯邦志略』 | 三好 彰 |
【研究ノート】 | |
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新島襄が箱館で葬送を見送ったポルトガル領事ケースについて | 八木谷 涼子 |
福士成豊の雇い主・箱館の商人アレクザンダー・P・ポーターの生没年月日、および来日前の履歴 | 八木谷 涼子 |
【コラム】 | |
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新島襄の函館脱国の謎~私の疑問と仮説 ─脱国ルートと同予想時間(私案)を含む | 田島 繁 |
新聞の船舶情報に見る1865年のワイルド・ローヴァー号 | 八木谷 涼子 |
【追悼】 | |
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萩原俊彦氏 追悼 | |
萩原俊彦先生の思い出 | 井上 勝也 |
新島襄研究グループ第2世代の萩原俊彦先生 | 大鉢 忠 |
大学院修士課程の先輩萩原俊彦先生 | 吉田 曠二 |
西田 毅氏 追悼 | |
西田毅先生のゼミで学んで | 林 葉子 |
西田毅先生と日本政治思想史研究 | 出原 政雄 |
追悼 西田毅先生 | 大越 哲仁 |
【エッセイ】 | |
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『JOE-千里を馳す-』について | 石村 えりこ |
【シナリオ】 | |
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『JOE-千里を馳す-』 | 石村 えりこ |
第112号(2021年2月)
【論叢】 | |
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新島七五三太の英語の語彙 | 三好 彰 |
黎明期の頌栄と同志社 ―頌栄創立者アニー・ライオン・ハウを中心に― | 森田 喜基 |
【資料紹介】 | |
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徳富蘇峰記念館所蔵 山本覚馬・新島八重書簡の翻刻と解題 | 吉海 直人 |
【エッセイ】 | |
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私の理解する新島襄 | 井上 勝也 |
第111号(2020年2月)
【論叢】 | |
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シンポジウム「新島襄の教育理念 ―『良心』を手がかりに―」 | |
私が目指した良心教育 | 大谷 實 |
日本国の文明化と新島襄の良心 | 伊藤 彌彦 |
「良心学」という言葉は存在しない | 北垣 宗治 |
良心碑の来歴 | 沖田 行司 |
シンポジウム総合討論 | |
新島襄の蘭学 | 三好 彰 |
『聯邦志略』と『海國圖志』、新島襄が読んだのはどちらか | 大越 哲仁 |
セイヴォリー船長と箱館の商人ウィルキー | 八木谷 涼子 |
オーテス・ケーリ ―捕虜と寮生と― | 森永 長壹郎 |
【資料紹介】 | |
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『新島襄英文来簡集』解題 | 本井 康博 |
【エッセイ】 | |
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新島襄の足跡を辿る 関西・関東編 | 田島 繁 |
第110号(2019年2月)
【論叢】 | |
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「新島襄の大学構想 ―『同志社大学設立の旨意』130年―」記念シンポジウム | |
カレッジとユニバーシティ ―新島襄の私立大学構想― | 大越 哲仁 |
新島襄と女性教育 ―「新島襄先生の遺訓」を手がかりに― | 坂本 清音 |
同志社ハリス理化学校の設立 | 森 一郎 |
「同志社大学設立の旨意」を読む | 伊藤 彌彦 |
シンポジウム総合討論 | |
新島襄は強い人であった | 井上 勝也 |
新島襄の英学事始め | 三好 彰 |
『聯邦志略』を読む | 坂本 恵子 |
同志社普通学校高等科 ―新島襄が実現させたリベラル・アーツ・カレッジ― | 大越 哲仁 |
【エッセイ】 | |
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新島襄の足跡を辿る 南九州編 | 田島 繁 |
【コラム】 | |
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新島襄の墓前におけるジョン F. ガウチャーの一枚の写真 | 森田 喜基 |
【追悼】 | |
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宮澤正典氏追悼 | |
宮澤正典さんのことども | 北垣 宗治 |
宮澤正典さんの思い出 | 西田 毅 |
宮澤正典先生の思い出 | 森 一郎 |
籠谷次郎氏追悼 | |
籠谷次郎さんを偲ぶ | 高久 嶺之介 |
籠谷次郎先生 | 竹内 力雄 |
籠谷次郎先生を偲んで | 小枝 弘和 |
第109号(2018年2月)
【論叢】 | |
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「新島襄の米欧教育視察1872~73年」記念シンポジウム | |
新島襄の米欧教育視察 | 井上 勝也 |
新島襄の米欧教育制度調査と文部省『理事功程』(要約) | 大越 哲仁 |
新島襄の教育への関心はいつ頃獲得できたか? | 坂井 誠 |
新島精神の形成と米欧教育視察体験との意味連関 | 明楽 誠 |
シンポジウム総合討論 | |
新島襄の米欧教育制度調査と文部省『理事功程』 | 大越 哲仁 |
新島襄のラットランドでの2つのスピーチ | 三好 彰 |
新島襄と会津若松教会設立期の人々 ―民権家と熊本洋学校のネットワーク― | 山下 智子 |
下村孝太郎と新島襄との往復書簡 ―1881年~1890年― | 森 一郎 |
受洗までの粟津高明 ―新島襄関係史料から探る人物像と入信の動機― | 中島 一仁 |
【資料紹介】 | |
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『東華学校ものがたり』補遺 | 本井 康博 |
【エッセイ】 | |
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新島襄の足跡を辿る イギリス編 ―リヴァプール、マンチェスター、 グラスゴー、エディンバラ、ロンドン、オックスフォード、ケンブリッジ― |
田島 繁 |
J・D・デイヴィスの兵庫県三田伝道―三田公会が組織されるまで― | 森永 長壹郎 |
第108号(2017年2月)
【論叢】 | |
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新島襄受洗150年記念シンポジウム | |
新島伝の謎「授洗者は誰か」を解く | 本井 康博 |
新島襄のキリスト教 | 北垣 宗治 |
同志社大学のキリスト教主義の再確認と推進のための取り組み | 横井 和彦 |
シンポジウム総合討論 | |
新島襄の福島伝道―会津若松教会の設立を巡って― | 山下 智子 |
襄の寒梅と八重の寒梅―2編の寒梅の詩に関する疑問を解く― | 大越 哲仁 |
シーリー夫人とジェイムズ兄弟の血縁関係 ―系譜の詳細と“いとこ”同士の交流― | 礒 英夫 |
【資料紹介】 | |
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木山厳太郎の著書と同志社時代のノート | 本井 康博 |
【エッセイ】 | |
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徳富蘇峰著『近世日本国民史』にみる織田信長と豊臣秀吉 | 吉田 曠二 |
新島襄の足跡を辿る ―近畿編:生野銀山、出石、城崎温泉、宮津・天橋義塾 北陸編:山中温泉、大聖寺、福井、長浜教会― | 田島 繁 |
第107号(2016年2月)
【論叢】 | |
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同志社創立140周年記念シンポジウム 「同志社創立150周年に向けて ―同志社の歴史をどう語り継ぐか―」 | |
同志社創立150周年に向けて | 水谷 誠 |
同志社百年史の二つの欠点 | 北垣 宗治 |
同志社150年史編纂について | 小林 丈広 |
シンポジウム総合討論 | |
God and the Gorilla: Religion and Science at Niijima’s Amherst | Gavin James Campbell |
新島襄と百足屋と愛松園 ―最晩年の新島が大磯で暮らした場所はどこか― | 大越 哲仁 |
J. N. Harrisのメッセージ ―J. N. Harrisの手紙から― | 森 一郎 |
【研究ノート】 | |
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新島襄研究上の疑問点 | 井上 勝也 |
【エッセイ】 | |
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初期同志社生徒の食生活を探る | 森永 長壹郎 |
新島襄と熊本バンドの足跡を辿る ―熊本、水俣、阿蘇、柳川― | 田島 繁 |
【コラム】 | |
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新島襄が帰国するにつき演説をしたラットランドの教会と教会史 | 松村 七五郎 |
第106号(2015年2月)
【論叢】 | |
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八月一日研究会 | |
八重研究 第3ステージ 「八重の桜」散る | 本井 康博 |
新島襄海外渡航150周年記念シンポジウム | |
新島襄の海外渡航と中濱万次郎 | 大越 哲仁 |
新島襄はなぜ、函館から国禁を犯して海外に脱出したのか? ―「ロビンソン・クルーソー」と新島襄― | 吉田 曠二 |
新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか | 井上 勝也 |
シンポジウム総合討論 | |
新島七五三太の書状の取次ぎ依頼をするJ.M.Ferrisの手紙(1867年4月16日 New York) | 布施田 哲也 |
新島襄の教育 ―智育、徳育、体育― | 森永 長壹郎 |
同志社ハリス理化学校設立次第 ―新島襄と下村孝太郎とJ.N.Harris― | 大越 哲仁 |
同志社「大学設立義捐金募集運動」再考 ―取扱窓口となった新聞雑誌についてのスケッチ― | 田中 智子 |
上野栄三郎の生涯 ―実業の世界に乗り出した同志社寺町時代の学生― | 大井 純一 |
【実践紹介】 | |
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同志社国際学院初等部における「新島先生の時間」 | 森田 喜基 |
【エッセイ】 | |
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新島襄の足跡を辿る 中国・四国編 ―岡山、高梁、玉島、笠岡、今治、松山― | 田島 繁 |
第105号(2014年2月)
【論叢】 | |
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特集 八重像を求めて | |
会津と八重:会津の八重 | 北垣 宗治 |
山本覚馬と妹八重 | 井上 勝也 |
襄と八重 | 伊藤 彌彦 |
「八重研究 第2ステージ 八重像を求めて―会津・覚馬・襄」シンポジウム報告 | |
大学医学部設置は新島襄の悲願だったのか | 大越 哲仁 |
新島襄の持病リウマチズム(Rheumatism)について | 布施田 哲也 |
新島襄の母とみと先祖の中田家 ―口述における「人望家」について― | 関口 徹 |
大久保真次郎の伝道とその性格「独立」と「合同」 | 森田 喜基 |
【エッセイ】 | |
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「新島襄の足跡を辿る 風間浦、函館、札幌」 | 田島 繁 |
「良心教育」におけるパスファインダーの活用 | 多田 直彦 |
【コラム】 | |
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新島先生が1875年宇治川で描いたスケッチ「山と川と釣り人」の場所を特定 | 田島 繁 |
新島の決意を示す手紙見つかる | 北垣 宗治 |
同志社でAmherstを「アーモスト」と表記する事になった経緯 | 『新島研究』編集委員会 |
松井全氏追悼 |
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新島八重関連書籍 |
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第104号(2013年2月)
【論叢】 | |
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新島襄と吉原重俊(大原令之助)の交流 | 吉原 重和 |
虎口からの脱出 -Joseph NeesimaとCapt.Andrew Bartlettとの交流- | 布施田 哲也 |
南山義塾の誕生から消滅まで -南山義塾、同志社英学校、自由民権運動- | 森永 長壹郎 |
新島襄の母とみとその先祖 | 関口 徹 |
新島八重と茶の湯 | 大越 哲仁 |
山本覚馬と新島襄Ⅲ | 井上 勝也 |
【エッセイ】 | |
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新島襄と「梅」 | 多田 直彦 |
【杉井六郎氏、河野仁昭氏追悼】 | |
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杉井六郎先生を偲ぶ | 太田 雅夫 |
新島研究、同志社史研究上の杉井六郎教授と河野仁昭室長 | 井上 勝也 |
河野仁昭さんのことども | 北垣 宗治 |
河野仁昭先生 追悼 | 大越 哲仁 |
【書評】 | |
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藤本ひとみ著『幕末銃姫伝 -京の風会津の花』 | 森 一郎 |
由良弥生著『新島八重と幕末 ー会津に咲いた八重の桜』 | 大越 哲仁 |
吉村康著『歴史物語 新島八重の生涯 -幕末のジャンヌ・ダルク』 | 宮澤 正典 |
岩澤信千代著『不一~新島八重の遺したもの~』 | 井上 勝也 |
早乙女貢著『明治の兄妹 新島八重と山本覚馬』 | 大鉢 忠 |
本井康博著『ハンサムに生きる』(新島襄を語る 七) | 坂本 清音 |
早川廣中・本井康博共著『増補改訂 新島八重と夫、襄 -会津、京都、同志社-』 | 森永 長壹郎 |
吉海直人著『新島八重 愛と闘いの生涯』 | 小﨑 眞 |
本井康博著『日本の元気印・新島八重』(新島襄を語る・別巻(一)) | 太田 雅夫 |
保阪正康「八重と新島襄」『サンデー毎日』連載1回~31回(2012年1月29日~9月9日) | 北垣 宗治 |
第103号(2012年2月)
【論叢】 | |
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山本覚馬と新島襄Ⅱ | 井上 勝也 |
同志社英学校と森永西洋菓子製造所 -創始者たちの帰国より死に至るまで- | 森永 長壹郎 |
新島襄が初めて読んだ漢訳聖書抜粋『真理易知』について | 布施田 哲也 |
新島襄における救済論 | 大越 哲也 |
新島襄の母とみとその生地 | 関口 徹 |
関口徹氏「新島襄の母とみと浦和宿の中田家 -籠谷次郎氏の所説にふれて-」を読んで | 籠谷 次郎 |
【シンポジウム 「森中章光先生の功績」】 | |
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「時危うくして、偉人を思う」徳富蘇峰と森中章光先生 | 吉田 曠二 |
森中章光先生を語る | 井上 勝也 |
『新島襄全集』と森中さん | 北垣 宗治 |
「森中章光先生の功績」討論と質疑 |
【エッセイ】 | |
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新島襄の足跡を辿る | 田島 繁 |
「新島ウォーク:大阪・奈良・京都」 ー大阪川口から奈良、宇治、坂本、比叡山を越え京都三条へ(1875年)― |
【コラム】 | |
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新島襄のヴィースバーデンでの 湯治場Kurhotel Römerbad(クアホテル・ローマ浴場)の新聞記事を発見 |
田島 繁 |
「新島襄の遺髪と愛用の硯」について | 田島 繁 |
日記「函館紀行」元治元年四月十一日に関した森中章光メモ | 吉田 曠二 |
【資料紹介】 | |
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新島八重のブラック・ホール -前夫・川崎尚之助のその後- | 吉海 直人 |
新島八重の雑誌記事集成 | 山梨 淳 |
第102号(2011年2月)
【論叢】 | |
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新島襄の「霊魂の病」 | 大越哲仁 |
新島襄と森永太一郎 ―誕生より帰国まで― | 森永長壹郎 |
新島襄の母とみと浦和宿の中田家 ―籠谷次郎氏の所説にふれて― | 関口徹 |
帷を開いた二人の志士 ―新島襄と森有礼― | 大江流 |
初期同志社英学校に学んだ真鍋定造の軌跡 ―伝道師から児童雑誌の編集者へ- | 柿本真代 |
【同志社創立135周年記念懸賞論文 最優秀賞作品】 | |
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アルフィーアス・ハーディーの系譜~祖父ジョシアの代から現代につながる子孫まで~ | 礒英夫 |
【史料】 | |
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新島辨治の旅日記 ―安政三年丙辰六月廿五日「手控」― | 籠谷次郎 |
第101号(2010年2月)
【論叢】 | |
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鍵屋六之丞考 | 籠谷 次郎 |
山本覚馬と新島襄1 | 井上 勝也 |
真下五一『小説 新島襄』を読む | 北垣 宗治 |
ピエモンテに憩う イタリアの新島襄 | 本井 康博 |
何故同志社はキャプテン・ジェインズを獲得できなかったのか | 森永 長壹郎 |
新島 襄のキリスト論~「キリストの真理の証し」と復活論を中心として~ | 大越 哲仁 |
新島襄の第1の回心と2つの自伝 | 明楽 誠 |
【書評】 | |
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『安部磯雄日記 ―青春編―』を読んで | 川口 浩 |
『安部磯雄日記 ―青春編―』刊行によせて | 檜皮 瑞樹 |
『新島研究』第1~101号 総目次[改訂版] |
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『新島研究』第1~101号執筆者索引[改訂版] |
お問い合わせ |
同志社社史資料センター TEL:075-251-3042 FAX:075-251-3055 |
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