以下、本文になります
新島研究
第40号(1972年11月)
新島語録(40) | |
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説教稿(愛とは何ぞや) | 新島 襄 |
新島日記(出遊記) | 新島 襄 |
蘇峰遺著「三代人物史」に滲み出る新島襄先生への愛着観 | ト部 和義 |
デビス博士の生涯 | 森中 章光 |
懸賞論文「新島先生の肖像がわたしに語りかけることば」 | 神谷 遊 |
懸賞論文「先駆者としての新島襄」 | 大橋 隆 |
なお生きてあり(39) | 森中 章光 |
ジョセフ・ハーディー・ニイシマ(英文)E・C・BOYNTON |
第39号(1972年2月)
新島語録(39) | |
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説教メモ「吾信ず我不信を助賜へ」 | 新島 襄 |
新島日記 明治15年続き | |
吉田松陰と新島襄 | 卜部 和義 |
新島先生に対する協力者たち(下) | 秦 孝治郎 |
高島秋帆と新島襄(下) | 鏑木 路易 |
デビス博士の生涯 | 森中 章光 |
新島先生の性格の分析的研究(懸賞論文) | 水口 賀代 |
わたくしの新島先生観(懸賞論文) | 中井 敦子 |
なお生きてあり(38) | 森中 章光 |
第38号(1971年1月)
新島語録(38) | |
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説教稿「信仰」 | 新島 襄 |
新島襄と内海忠勝 | 足立字三郎 |
新島先生に対する協力者たち | 秦 孝治郎 |
高島秋帆と新島襄 | 鏑木路易 |
デビス博士の生涯(29) | 森中 章光 |
ジョナサン・ニュートン・ハリス伝等 | 中西 進 |
懸賞論文「新島襄と現代の青少年」 | 宮田 敬子 |
新島先生を見直す | 田村 光三 |
なお生きてあり(37) | 森中 章光 |
第37号(1970年3月)
新島語録(37) | |
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「新島研究」十五週年に思う | 住谷 悦治 |
同志社新島研究会ならびに | |
「新島研究」誌十五年間の歩み | 加藤 延雄 |
新島先生 その生涯の意義について | 森中 章光 |
徳富蘇峰翁端書 | |
総目録(第1号-第36号) | |
新島研究索引 Ⅰ標題別 Ⅱ著者別 |
第36号(1969年9月)
新島語録(36) | |
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悔 改(説教稿) | 新島 襄 |
新島日記 明治15年6月7日より | 新島 襄 |
新英州神学の実践面 | 足立字三郎 |
新島襄の教育上のビジョン(懸賞論文) | 小西 裕美 山口 真理 |
沢辺琢磨伝 | 福永久寿衛 |
デビス博士の生涯 | 森中 章光 |
我が心の新島襄(懸賞論文) | 岸田 博 |
なお生きてあり | 森中 章光 |
“Upright against God”The Story of Neesima | P.F.Mckeen |
第35号(1968年9月)
新島語録(35) | |
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十字架の贖(説教稿) | 新島 襄 |
百年前の新島先生 | 加藤 延雄 |
新島先生の信仰の背景をなす新英州神学について | 大塚 節治 |
E・Aパーク教授、アンドバー神学校図書館の写真 | |
新島襄における愛の心(懸賞論文) | 川端 敏史 |
デビス博士の生涯 27 | 森中 章光 |
なお生きてあり 35 | 森中 章光 |
P・F・マッキーン著 新島襄略伝について | |
新島 襄 略伝 | Phebe F.Mckeen |
第34号(1967年11月)
新島語録(34) | |
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快楽(説教稿) | 新島 襄 |
六大教育家頌辞(抄) | 辻 新次 |
新島日記 | 新島 襄 |
新島先生の最終目的 | 横井 時雄 |
「新島日記」詳解三たん紀行編 | 同志社香里中学校地歴部 |
新島襄のキリスト教思想-その社会事業的意味- | 中条 明子 |
山崎為徳書簡(舞野宛) | 山崎 為徳 |
デビス博士の生涯(26) | 森中 章光 |
新島先生と友達(懸賞論文当選作) | 谷脇 千尋 |
なお生きてあり(34) | 森中 章光 |
第33号(1967年1月)
新島語録(33) | |
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霊に播け(説教稿) | 新島 襄 |
新島襄受洗一〇〇周年 | 加藤 延雄 |
新島日記 | 新島 襄 |
遊奥記事 | 新島 襄 |
近代日本と新島襄 第六回懸賞論文入賞作 | 林 育雄 |
金のかからぬ選挙 | |
明治期における同志社の苦難(三) | 足立宇三郎 |
新島襄乗船の『快風丸』の研究 | 鏑木 路易 |
下津井港で | |
デビス博士の生涯(25) | 森中 章光 |
なお生きてあり(33) | 森中 章光 |
書評 砂川万里氏の「新島襄」を読んで | 手塚 竜麿 |
第32号(1966年4月)
新島語録(32) | |
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我已に世に勝てり(説教稿) | 新島 襄 |
新島日記 明治十五年(10) | 新島 襄 |
新島襄の蘭学研究(下) | 鏑木路易 |
デビス博士の生涯(24) | 森中章光 |
新島襄先生の遺書(アルプスにて)前半 | |
同志社の苦難Ⅱ | 足立宇三郎 |
なお生きてあり(32) | 森中章光 |
新島先生研究 参考図書 |
第31号(1965年8月)
新島語録 | 表紙内側 |
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カインとアベル(説教稿) | 新島 襄 |
百年前 | N・K |
新島日記 明治十五年(9) | |
臨終の新島先生の看護婦 | 鈴木 限三 |
新島先生と洋学(記念講演) | 重久篤太郎 |
アンナの手紙(記念講演) | 加藤 延雄 |
新島襄と明治教育(懸賞第一位入選論文) | 徳永由美子 |
新島襄と蘭学研究 | 鏑木 路易 |
デビス博士の生涯(23) | 森中 章光 |
同志社の苦難 1 | 足立宇三郎 |
山崎為徳改葬始末 | 田中 良一 |
なお生きてあり(31) | 森中 章光 |
若き日の新島襄先生より学ぶもの(懸賞第一位入選論文) | 中条 潮 |
在同志社新島関係資料 目次Ⅰ |
第30号(1965年1月)
新島語録(30) | 表紙内側 |
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衣服をうりて刀を買うべし(説教) | 新島 襄 |
質疑応答 | |
新島七五三太の脱国に関する二・三の点につき | 加藤 延雄 |
新島日記 明治十五年(8) | |
新島先生の平民主義 | 大塚 節治 |
沢山保羅先生 -先生と同志社の大リバイバルー | 足立宇三郎 |
同志社の大リバイバル -同志社教会記録から- | NK生 |
民主主義の発展と新島襄(懸賞論文二等) | 俣野 真美 |
なお生きてあり(三〇) | 森中 章光 |
第29号(1964年3月)
新島語録 | |
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伝道(説教) | 新島 襄 |
新島先生の病床に侍して | 遠藤銕太郎 |
新島先生と現代(説教) | 大塚 節治 |
新島日記 明治十五年(7) | |
新島先生に関する牧野翁の話 | |
デビス博士の生涯(22) | 森中 章光 |
デビス博士の一面 | 加藤 延雄 |
民主主義の発展と新島襄(懸賞論文第一等入選作) | 関口 徹 |
死と直前の心境 新島先生の手記 | |
“なお生きてあり”(二十九回) 自責の巻(8)恩師のなさけ | 森中 章光 |
クラーク記念館の一隅から |
第28号(1963年11月)
“此の人を観よ” | (説教)新島 襄 |
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職を賭して青年を助けた船長 | |
望ましき前進目標(シーリー教授印度講演) | 今谷逸之助 訳 |
新島先生の書簡より | |
新島先生と私共-学生への勧め- | 田中良一 |
新島日記 明治十五年(4) | |
愛と信仰の力(新島書簡の一節) | |
デビス博士の生涯 第二十一回 | 森中章光 |
“なお生きてあり”(二十八回) 自責の巻(7) | 森中章光 作 |
下宿人でなく家族の一人です | |
摂理の御導き | 新島 襄 |
遺品庫便り | 田中 良一 |
新島先生が選ばれた聖句 |
第27号(1962年12月)
日本における基督教主義大学のために | N・Gクラーク博士 |
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自修主義の教育 | 安部 磯雄 |
安息日と文明国の関係について(説教) | 新島 襄 |
同志社ハリス理科学校 J・N・ハリス氏の書簡訳 | |
新島先生英文書簡の編者A・S・ハーディー氏の略歴 | |
新島先生より福土成豊あて書簡(原英文訳) | |
新島先生の声をきく | 末光 信三 |
新島先生について | 松山高吉翁直話 |
新島日記 明治十五年(3) | |
デビス博士の生涯 第二十回 | 森中 章光 |
新島先生愛唱讃美歌 | |
新島先生の人物・思想・信仰について | 同志社大学経済学部学生 平尾 誠吾 |
“なお生きてあり”(二十七回) 自責の巻(6) | 森中 章光 作 |
第26号(1961年12月)
“神によりてたち神によりて栄ゆる学校” | J・Dデビス |
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“義人之祈” | (説教)新島 襄 |
新島先生あて書簡 | 文部大輔田中不二麿より |
新島日記 明治十五年(2) | |
キャプテン・ジェーンス(Ⅰ)その人物・熊本洋学校における教育 | |
新島襄先生の人物・思想・信仰について | 同志社大学経済学部学生 山内 真樹 |
デビス博士の生涯(19) | 森中 章光 |
孤児院創始の父 ジョージ・ミューラー(序文稿) | 新島 襄 |
“なお生きてあり”(二十六回)自責の巻(5) | 森中章光 |
第25号(1961年5月)
“日本における基督教主義高等教育のために訴う” | (原英文訳)新島 襄 |
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勝海舟と先生 | 原田 助 |
函館湾頭の福士成豊を憶う | 秦孝治郎 |
ハーディー氏あて新島書簡 | |
“宗教は万民の望むところなり”(説教) | 新島 襄 |
私の新島襄先生観(当選懸賞論文) | 木内 正一 |
デビス博士の生涯(18) | 森中 章光 |
新島日記(明治十四~十五年) | |
“なお生きてあり”(二十五回) 自責の巻(4) | 森中 章光 |
第24号(1961年1月)
真理につきて証せんためなり | (説教)新島 襄 |
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大いなる結果に期待する | J・Hシーリー |
新島 襄 教育思想とその形成過程(三) | 松本 嘉一 |
マウントバーノン教会 | |
新島日記 明治十三年(6) | |
デビス博士の生涯(17) | 森中 章光 |
新島先生元旦書簡(和文訳) | |
デビス博士を偲ぶ | 足立宇三郎 |
アーモストかアマーストか | |
懸賞論文 新島裏と聖書 | 宮内 教司 |
“なお生きてあり”(二十四回) 自責の巻(3) | 森中 章光 |
新島先生遺品展目録 |
第23号(1960年10月)
“我もし地より挙げられなば万民を引き我に来らせん” | (説教)新島 襄 |
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感算理説 | 新島 襄 |
日本文化と新島襄先生 | (講演)高坂 正顕 |
新島日記 明治十三年(5) | |
バルチモアにおける朝の祈り | |
新島 襄 教育思想とその形成過程(二) | 松本 嘉一 |
デビス博士の生涯(16) | 森中 章光 |
新島門下の俊秀 | 文学博士 大西 祝 |
学生時代のジヨーセフ・ニイシマ | |
“なお生きてあり”(二十三回) 自責の巻(2) | 森中 章光 作 |
第22号(1960年7月)
“赤心をあつめて聖霊の火を点ぜよ” | 新島 襄 |
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アマーストカレッジの伝統と新島先生 | 児玉 実英 |
“無くてはならぬものは多からず唯一のみ” | 説教 新島 襄 |
新島襄 教育思想とその形成過程(一) | 松本 嘉一 |
新島日記 明治一三年(4) | |
デビス博士の生涯(15) | 森中 章光 |
新島門下の俊秀 山崎為徳の生涯とその書簡 | |
“なお生きてあり”(二十二回) 自責の巻(1) | 森中 章光 作 |
第21号(1960年4月)
“神の愛と人の罪” | (説教)新島 襄 |
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W・Sクラーク博士の最初の日本人生徒 | |
新島先生と渋沢栄一 | 有賀哲太郎 |
新島日記 明治一三年(3) | |
デビス博士の生涯(14) | 森中 章光 |
津田仙翁が語る 若き日の新島先生 | |
新島先生七十年記念会 | |
随筆 安中物語 | 田中 良一 |
山竜堂病院長 樫村清徳博士 沢辺琢磨 新島先生海外脱出幇助者の一人沢辺数馬の経歴 |
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“なお生きてあり”(二十一回) | 森中 章光 |
新島書簡続篇発刊・「同志社設立の始末」 | |
「同志社大学設立の旨意」英訳 | |
「思想の科学」誌記事・会報 |
お問い合わせ |
同志社社史資料センター TEL:075-251-3042 FAX:075-251-3055 |
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